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海パン野郎の備忘録

フィンスイマー兼ポケモントレーナーの僕がとりとめなく書き留めていくブログです

受験の話

こんにちは、えぴおんです。今回は真面目な記事書きます。備忘録らしく現時点の考えをまとめるものです。僕自身考えがまだまとまってません。途中の論理崩壊、あると思います。いろんな意見あると思いますがこんなふうに考えてるんだな、くらい伝われば十分です。

僕は受験という制度を基本的には肯定する立場です。昨今は脱競争主義が目立ちます。これの1番の理由は負けたらかわいそう、ということが一つあるでしょう。例えば手をつないで徒競走。ここには勝敗がないため誰も傷つかない、ある意味で理想かもしれませんね。しかしみなさんは、危ないから〜はやめようって考え方を毛嫌いしつつあります。危ないからボール遊びを止めさせるのではなくどうやったらボール遊びが危なくないか考えよう。このように考えているように見られます。その立場で行くならば競争をなくすということがおかしなことだな、と思えるでしょう。自分の経験で申し訳ないですが、僕は小学6年生の徒競走で2番でした。当時は1番を本気で狙っていたためとても悔しく、泣いた記憶があります。しかしその涙から僕は勝負の厳しさと人には得手不得手があるということを学び、競争とは素晴らしいものだなと感じました。したがって受験という完全な競争を18になる直前に一度味わうことはとても有意義であると考えます。

その上で僕が嫌いなものは推薦です。ただしここで述べる推薦は指定校推薦をさします。推薦と言っても一口に言えません。数学オリンピック等で好成績を残したものが受ける特別推薦、運動のできるものに対して与えられるスポーツ推薦、AO入試様々です。しかし今回は学校が全面的に援助する入試携帯を推薦とします。なぜここでそれを分けるかというと入試を突破する手段が違うからです。一般入試は全て一人の責任によって行われます。勉強しないことも自由であります。そこにあるルールはただ一つ、いい点を取れ、これ以上にシンプルなルールはないでしょう。どのような人材が欲しいかということは過去問等から浮かび上がってくることではありますがこれ以上に美しいルールはないでしょう。スポーツ推薦も同様です。むしろこちらは一定の大会で極めて優秀な成績を取らない限り声はかからないためある意味入試よりシビアだと思っています。一方で推薦はここに学校という水を差すものが介在します。推薦は学校の提出する書類と小論文で決まります。純粋な個人の力ではありません。またこの入試は学校側の意向が強く通る入試でもあります。ほぼ前者で結果が決まると考えても良いでしょう。また、結論が出るのが早いことも特徴です。そのため夏休み過ぎてから遊び呆けるという可能性も十分にあります。実際1日10時間を超える勉強をしている人間の中部活に復帰した推薦組を僕の学校ではよく目にしました。それほどまでに違うのだなと。

ここまでくると推薦組は普段からの行いを努力してきた。同じ舞台にたつのにふさわしくないという意見が出てくるかもしれません。確かにその通りかもしれません。僕は小論文の課される大学を受験したため該当しませんが一般的に彼らは主要3教科多くて5教科でテストが行われるためそれ以外の部分で見られることはないでしょう。また、評定平均を参考にしないためテスト以外の部分で手を抜く人間が出ていることも事実です。実際彼らに要求される評定平均が低くはないということは認めます。しかしこの理論は十分ではありません。例えば、推薦組ならば授業と期末試験どちらでも高評価という命題の対偶をとりましょう。授業か期末試験どちらかの手を抜くものならば推薦組ではない。これは偽でしょう。評定平均5ある一般勢はたくさんいます。その上僕の学校だけではないみたいですが実績に目がくらむ高校は上位を一般試験だけに限定して実力が伴わないハイレベルな大学を中堅層に推薦を使うことで合格させるという、信じがたい現状もあります。みなさんは天下りをとても批判します。なのにこの現象は黙認する、矛盾してますよね。また、野球の選抜は監督次第であるためいくら努力しているとはいれ選手と監督が不仲である場合スタメンに選ばれない、このような事実も一部ではあるそうです。この観点から見ても個人の努力の領域を超えた中でやりとりが行われていることが見えてきます。

ではなぜここでこのような差がついたのか。推薦組は悪なのか。そうではありません。ここに生じる軋轢は全て条件の違いから来ています。つまり、採用方法が異なっているところ、ここに問題があると思います。競争において一番大切なのは同じルールが適応されるという点にあります。100メートル走で一人だけ助走ありと聞くと釈然としませんよね、それと同じです。同じルールの元に行われた競争ではない、にもかかわらず同類として世間に見られる。これこそが問題ではないか、と僕は思っています。皆が同じ条件の下戦うことに意義は大いにあります。しかしそれに水を差しているように感じるからこそ納得のいかない部分があるのだと思います。

しかし一般入試にも欠点があります。勉強に偏っている点です。スポーツ推薦は盛んなのに美術推薦はそこまで大きくない、ということもあります。これは勉強しか考えられていない点でしょう。写真の才能はこの方式だと埋もれてしまいます。したがって僕はこのような人への救済措置を用意すべきであると思います。勉強以外にも多様な個性を重んじた入試が必要な時代だと思っています。一般生の中に学校の力で放り込ませる推薦よりもこちらに手をかけるべきです。

最後に、慶応大学のシラバスにこのようなことが書いてあった記憶があります。「りんごにカビが生えるとそれだけでりんごの良さを潰すどころかこれが他のりんごにも感染して全てをダメにする。」なかなか強烈なことをおっしゃっていますが間違ってはないと思いますがいかがでしょうか。

今のところはこんな感じです。先に述べた通りただの備忘録なのでさーっと受け流していただければ結構です。反論もあるでしょう。ただ最近推薦組に癪にさわられることを行われ入試について考える機会があったので残そうと思ったまでです。最後まで読んでいただきありがとうございます。